昨日2月19日は私の父の命日だ。早い。本当に早い。改めて写真を見ると一人だけ年を取っていない。勿論だ。写真の時から時間は止まっているのだから。いずれは父の年齢も越す事だろう。無くなって3年が経ちます。あ~今まだ健在だったら何が出来たんだろうと、考える。
以前にも書いたが、私は親孝行をした事が余りないのだ。19歳で直ぐに家を出て一人で生活するといい、家を出た。それから何をするにしても一人で考え、一人で行動して来たのだ。
勿論独立する時も相談なんかはしていない。俺は俺だと。そんな考えだった。独立してからも考えは変わらなかった。手伝いたければ勝手にみたいな感じだった。でもそんな気持ちが変わりだしたのは独立してから、6年位たった時かな?旅行に連れて行ったのが初めての親孝行?だったかもですね。
その時に感じた私の中の気持ちが、たまらなく苦しくしんどかったのを覚えています。一人で走って来たのに対して家族が集まる楽しさ・嬉しさなどがそこにはありました。あ~なんかいいな~と思いました。
私の父は本当に面白く、人のお金さえも自分用に使う人でした。でも嫌な感じはせず、楽しい人でした。本当にこの人の子供で良かったと思うと、良く弟と話す。お金が無くても遊び方をおしえてくれたり、本当に遊びを教える天才でした。山鹿家は小学3年で麻雀・トランプ・ルーレットと英才教育が始まる。
節分の豆撒きでは豆ではなく、現金を撒く。子供は喜ぶ。本当に遊びの天才。では勉強はというと、試験勉強しようものなら、勉強はしなくていいと言う始末。ただ遊びたいだけなのだ。(笑)でもそんな親父が好きでしたね。
父から受けた教育が私の子供教育に反映していない事は間違いないですが、反面教師ですから、でも心から素晴らしい親父でした。
また一年が経ちました。しっかり頑張りますので、上から見ておいてくださいと伝えて、昨日は手を合わせてきました。
さあ~今年もやるぞ~と思う瞬間でした。
しんみり話申し訳ありませんでした。忘れて欲しくなく、書きました。
ペンネーム1515より